塗商五十年
-稲垣忠右ェ門の歩んだ道-
1章 故郷三河の稲垣家
1-6 現代の稲垣家
兄の元先生十三代目、そして子息の束(つかね)先生が十四代目、さらに現在は十五代目の道彦さんが稲垣家を継いでいる。十二代目から当代まで、四代にわたって医師をつとめていることになる。
十三代当主の束先生は大正四年生まれ。忠右エ門と同じ枡塚で生まれている。四歳の時、現在の上郷上野地区に移っている。名医として近在住民の診療医業に励むかたわら。衣白の号をもつ虚無僧尺八の名吹手であり、研究者としてもこの道の貴重な存在である。
大学時代から明暗三十七世の谷北無竹師にも師事し、現在は京都明暗寺導主会相談役、東京虚無僧研究会顧問に推挙されている。現在は医業の方は長男に譲り渡し、尺八の相談を受けたり、『谷北無竹先生の思い出』をはじめ数冊の研究書をだしている。
衣白の号は巴の祖父、真郎の号でもある。なにごとにも余分なものは纏わない、無衣無冠、清廉潔白を旨とする先生の信条をよく顕している号である。
また束先生の弟の稲垣台(うてな)氏は、現在上郷町に住まわれ、豊光工業株式会社、豊光特溶株式会社、日本オールメンテナンスサービス株式会社の社長をつとめている。趣味も多彩で、社団法人日本犬保存会の審査員などをつとめ、金魚については愛知県の天然記念物に指定されている『四尾の地金』に幼児より魅せられ、やみつきとなり、四尾の地金保存会の二代目会長となり、趣味団体の依頼によって『司家』となっている。また岡崎中学時代には岡中柔道部の星と属望されて最強の選手だったが、途中で身体を悪くして望みを半ばにしている。
甥にあたる台氏を忠右エ門はいつも「だいちゃん」とよんで親しい付き合いをしていたが、スポーツが好きで、二人とも実業界に進出したこと、分家をする立場にあったこと、などなど年齢は二十二歳も離れていたが、お互い感ずるところが多かったものと思われる。
目次
1章 故郷三河の稲垣家
1-1 矢作川と稲垣家
1-2 学問ひとすじ 祖父真郎
1-3 人生謳歌、父隆三郎
1-4 おいたち
1-5 収蔵品の虫干し
1-6 現代の稲垣家
2章 塗師屋への道
2-1 クリーニング店に住み込み
2-2 はじめて外商にでる
2-3 輪島の地を踏む
2-4 三重で漆器外商、そして結婚
2-5 忠右エ門を名乗る
2-6 輪島に移住し、塗師屋となる
2-7 かけだし時代
2-8 岩津のおてつさん
2-9 飛騨古川町の青龍台を塗る
3章 苦闘の時代
3-1 漆塗り軍需水筒で戦後につなぐ
3-2 行商三昧
3-3 能登観光の黎明と水害受難
4章 漆器組合の理事長に就任
4-1 塗師屋の仲間組織
4-2 火中の栗
4-3 組合再建への礎に
4-4 高松宮妃殿下を迎える
5章 漆器と観光の船出
5-1 観光時代の到来
5-2 カニ族のたまり場
5-3 塚田海岸に進出、稲忠漆芸会館開設
5-4 居眠り旦那と道路の稲忠さん
6章 逝去、子息らに夢を託して
6-1 ボーリング場跡地を購入
6-2 民夫社長を指名、会長になる
6-3 七十四歳の誕生日
6-4 病床でキリコ会館の開設を見る
6-5 初秋に逝く
6-6 没後十年、創業六十年