塗商五十年
-稲垣忠右ェ門の歩んだ道-
6章 逝去、子息らに夢を託して
6-5 初秋に逝く
前年の暮れも押し詰まったある日、キクエ夫人ととし子専務は、懇意の院長先生と柳一子総婦長から、忠右ェ門の体がかなり悪い状態にあることを知らされた。
片足は一方の足の倍程も腫れあがっていた。脳血管に動脈硬化がみられ、血行を絶やしはじめていることが、身体と言語の反応の鈍さにあらわれていた。
治療においても、看病においても、懸命な努力をしたものの、快方に向かうことは無かった。糖尿病も併せて忠右ェ門の身体を蝕んでいた。
暑い夏もどうにか過ぎた。
忠右ェ門はもてる強靱な精神力を、すでにつかい果たしていた。
その日は朝から気持ちの良い青空がひろがり、吹く風もこころなしか涼しかった。
九月九日午前十一時十五分、稲忠漆芸堂の創業主で会長をつとめる、稲垣忠右ェ門は家族に見取られ、波瀾に富んだ生涯を終えた。享年七十五歳であった。
葬儀は自宅近くの善龍寺で行われ、訪れた参拝者の半数ほどが、御堂に入りきれない、というほどの多くの人々の御参があった。死因は脳血栓であった。
法名、穏和院釈忠門。
目次
1章 故郷三河の稲垣家
1-1 矢作川と稲垣家
1-2 学問ひとすじ 祖父真郎
1-3 人生謳歌、父隆三郎
1-4 おいたち
1-5 収蔵品の虫干し
1-6 現代の稲垣家
2章 塗師屋への道
2-1 クリーニング店に住み込み
2-2 はじめて外商にでる
2-3 輪島の地を踏む
2-4 三重で漆器外商、そして結婚
2-5 忠右エ門を名乗る
2-6 輪島に移住し、塗師屋となる
2-7 かけだし時代
2-8 岩津のおてつさん
2-9 飛騨古川町の青龍台を塗る
3章 苦闘の時代
3-1 漆塗り軍需水筒で戦後につなぐ
3-2 行商三昧
3-3 能登観光の黎明と水害受難
4章 漆器組合の理事長に就任
4-1 塗師屋の仲間組織
4-2 火中の栗
4-3 組合再建への礎に
4-4 高松宮妃殿下を迎える
5章 漆器と観光の船出
5-1 観光時代の到来
5-2 カニ族のたまり場
5-3 塚田海岸に進出、稲忠漆芸会館開設
5-4 居眠り旦那と道路の稲忠さん
6章 逝去、子息らに夢を託して
6-1 ボーリング場跡地を購入
6-2 民夫社長を指名、会長になる
6-3 七十四歳の誕生日
6-4 病床でキリコ会館の開設を見る
6-5 初秋に逝く
6-6 没後十年、創業六十年